★★★★『マレーナ』(MALENA)
私レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)が初めてマレーナ(モニカ・ベルッチ)に出会ったのは、イタリアが英仏に宣戦を布告した1940年の晩春、12歳半の時だった。シチリア島の眠ったような漁村カステルクトの長く続く海岸通り。その日、私は買って貰ったばかりの自転車を駆って、年長の悪ガキに仲間に入れて貰いにいった。「半ズボンのガキに邪魔されたくない。仲間には入りたきゃ黙って観てろ」と言われて座った突堤。目の前を通り過ぎる街一番の美女、それがマレーナだった。耳が悪いラテン語教師の娘で、結婚2週間で夫が徴兵されて戦線に送られた彼女、毎日午後になるとその家を出て海岸通りを歩き、町の中心部へと消えていくのだ。その姿を観るのが、悪ガキたちの儀式になっていたのだ。
初めて観た彼女は白いドレスを着ていた。開いた胸元から白い喉のくぼみが見える。透き通るような白い肌に黒い髪。動きに連れて彼女の美しい曲線が露わになる。その曲線の太腿当たりにコーヒー豆ほどの小さな膨らみ。ガーターの留め金だった。私の目はそこに釘付けになった。
その日、私は恋に落ちた。私はまだ半ズボンをはいた少年で、マレーナは27歳の成熟した女だったが、その日から私の唯一の女性として私の心に居座ったのだ。年長の悪ガキが『学校をさぼって突堤にいたらマレーナが出てきて煙草を勝ってきてくれるように言ったが、その時彼女は素肌にローブを着ただけで自分を誘っているのが明らかだった』という話をすれば、翌日は学校をさぼって突堤で座って彼女の姿に誘われることを夢想してみたり、深夜彼女の家に忍び込んで木に登って彼女の部屋を覗いてみたり、彼女がならした「MA L'AMORE NO」のレコードを自分も買ったり…
彼女に見合う男になりたかった私は、早く大人になりたいと父のズボンを仕立屋に出して自分のためにリフォームしてもらうこともしてみたが、それは父(ルチアーノ・フェデリコ)にばれてこっぴどく叱られ「ムッソリーニの頭を真っ二つにできたら長ズボンを履かせてやる」言われてしまうのだが。
でも、当時の彼女には子どもの私など眼中にはいるわけもなかった。町中の男たちから注がれる熱い視線さえ無視して、戦線にいる夫を想い、耳の聞こえない父親を世話していたのだから。しかし、男を寄せ付けようとしない彼女の美貌は、逆に男たちの好餌となり、そのことが女たちの自尊心を傷つけるだけに、マレーナは誰からも悪意の噂話の対象にされていた。私にはそれを止めることなど全く叶わなかったのだが…
そんな折り、彼女の夫ニノ中尉の戦士を伝える電報が届く。葬儀の席にも出られず悲嘆にくれる彼女だが、口さがない女たちは「早速男あさりを始めたのよ」と噂するのだった。彼女の寝室を覗いた私の心はベッドサイドで『僕があなたを守ります、永遠に。だから僕が大人になるまで待ってください」とささやいていたのだ。その日から、私の戦いが始まった。彼女の悪口を言うオヤジの酒に唾を入れてやり、おばさんのバッグには小便を、店のガラスは割ってやった。神様にもお願いした「マレーナを守って。僕が大人になる数年間で良いから」。私は自分が彼女を守る騎士だと想っていたのかも知れない。それでつい褒美にと彼女の庭の洗濯物からパンティを盗んで顔にかぶって寝てしまったのかも知れない。あの時は父に見つかり、母や姉たちからも変態扱いされて、外出を禁止されてしまった。でも、何日も食べずに狂った振りをしていたら、医者が『新鮮が空気が必要』と言ってくれたし…
この数日の間にマレーナを取り巻く環境はずいぶん変わっていたのかも知れない。彼女にはカディ中尉という新しい恋人ができたり、授業中の彼女の父の元に『あなたの娘は町中の娘と寝てる』という中傷の手紙が届けられたり。しかし、常々彼女に懸想していた歯科医が彼女の家の前でカディ中尉と刃傷沙汰を起こし、歯科医の妻に「幸せな家庭を壊す女」と訴えたことから、彼女の父は職を失い、彼女は父から勘当されてしまう。裁判に対処するため、彼女は弁護士を依頼するのだが、「彼女は独身、美しさこそが唯一の罪。未亡人には新たな伴侶を求める自由はないのか!」との論理を展開する弁護士の活躍で無罪とはなったものの、弁護費用を楯に彼女は弁護士の愛人になってしまうのだった。私はこの怒りを神様につきつけることしかできなかった。
「片思いこそ真実の愛。守ってあげたい。それなのに何故あの弁護士と…。あなたは僕と結婚すべきです」授業中に夢想した私は新しいラテン語教師に愛の告白をして教室から追い出されたのだけど、その時にムッソリーニの銅像も突き倒したものだから、父から長ズボンを履くことを許されたのだが…
弁護士の母親がマレーナとの結婚を許さなかったことから、愛人関係は解消されたのだが、そんな折りついにナチの空爆はこの小さな漁村にもやってきた。そして、マレーナの父親は瓦礫の下で死に、彼女は髪を切って染め、濃い化粧をして、ドイツ兵と寝る女に変わっていった。そうでもしなければ、女が一人で生きていくなど叶わない時代だったのだ。
しかし、分かっていても、私はそれが納得できないまま、ドイツ兵に抱かれる彼女を夢想して気を失うことがあった。母はそれを悪魔憑きだと言って教会や祈祷師のところへ私を連れて歩いたが、父は「レナートは男になるんだ。一発やらせりゃ済む」と娼館に。
ついにアメリカがドイツを破り、敗戦とともに平和が訪れようとしていた。歓喜の中、町の女たちのパニックが始まった。「恥知らずの淫売に罰を!」。道に引きずり出されたマレーナは殴る蹴るの暴行を受け、髪を切られ、ほとんど裸同然の姿で村を追われたのだ。その時も私には彼女を助けることなどできもしなかった。私はその日、あのレコードを海に捨てた。
彼女が消えてしばらくして、町に一人の男が帰還した。ニノ中尉(ガエタノ・アロニカ)である。戦死したと報じられた彼は、右腕を失い現地病を煩いながらも生き延びていたのだ。しかし、そんな彼を襲ったのはあまりにも酷すぎる妻の恥辱。私は彼を救うために手紙を書いた『あなたの奥さんの真実を知っているのはひたすら彼女を見つめ続けた私だけです。彼女はあなただけを愛していた。でも、生きるために他に仕方がなかったのです。彼女はメッシーナ行きの汽車に乗りました』。これは結局、汚辱の中にいる“私のマレーナ”を救ったことでもあった。
それから1年。私もすっかり背広姿が似合うようになり、GFと腕を組んで町を歩くようになっていた。そして、そこにあの2人、ニノとマレーナが帰って…少年の日の淡い想いが見事に描かれた作品。“見つめるだけであなたを守るつもりだった…”そんな思いを抱いた少年が、年上の憧れの人との決別を経て大人へと育っていく。しかし、ずっと彼女は少年にとって“唯一絶対の女”としてここのの中に生き続けるのだろう。
2001/6/9 高岡ピカデリー