★★『ファイナル・デスティネーション』(Final Destination)
高校の修学旅行。アレックス(デヴォン・サワ)はフランスへの旅に心ときめかせ、親友のトッド(チャド・E・ドネーラ)と笑いあっていた。そんな彼の笑顔が消えたのは、旅立つ直前の飛行機の中。美人クラスメートに席を替わってくれるように頼まれ席に着いたのも束の間、離陸した飛行機は突然大爆発をお越し、アレックスは真っ赤な炎に!…が、それは夢だった。冷や汗をかいて悪夢から覚めたアレックスに、美人クラスメートが席を替わってくれるように言う。そ驚いて彼女の座席のテーブルのねじを確かめると壊れてしまっている。これはまさに夢の通り。戦慄したアレックスは「この飛行機は爆発する。降りるんだ!」と叫ぶ。パニックに陥ったアレックスに同級生のカーター(カー・スミス)が殴りかかり、その場は大混乱。アレックスとカーターが係員に取り押さえられて機外に出される。そのあおりを食らって級友のビリー(ショーン・ウィリアム・スコット)、そしてカーターののガールフレンドのテリー(アマンダ・デットマー)、教師のミズ・ロートン(クリスティン・クローク)が下ろされる。そして、兄に言われてアレックスの様子を見にトッドが、イヤな予感に襲われたクレア(アリ・ラーター)が共に降りる。
ターミナルでまたもやカーターと殴り合いを始めるアレックスだが、その時、離陸したばかりの飛行機が大爆発を起こす。アレックスの悪夢が現実となったのだ。FBIの捜査官に事情聴取されてアレックスは悪夢のことを話すが、信じて貰えるはずがない。生き残った連中も同様。「彼を信じて降りた」というクレアを除いた5人が、アレックスに疑いの目を注ぐ。
その悲劇からしばらくして、亡くなった生徒たちの慰霊式が行われる。この事故で兄をなくしたトッドにここで久しぶりに会ったアレックスは、落ちついたら一緒に野球に行こうと約束する。しかし、その夜、アレックスはまた奇妙な予兆を感じる。放り出した雑誌が扇風機に巻き込まれて切り刻まれ、「Tod」と書かれた紙片が彼の膝の上に落ちる。不安に駆られた彼がトッドの家に走ると、彼は既に黒い袋の中。兄の死に絶えきれず、バスルームで首を吊ったというのだ。「そんなバカな。野球に行こうって約束したのに!」。
翌日、アレックスはクレアと共にトッドの死因を探ろうと葬儀屋に忍び込む。トッドの遺体を見た時に突然トッドの手が動く。驚く2人を笑いながら葬儀屋のブルッドワース(トニー・トッド)が姿を表す「死後硬直さ」。そして彼は2人に告げる「死は必然だ。死の筋書きは既に書かれている。死は再び君らを襲うだろう。もし回避したければ、直感を信じろ!」。
予兆を信じるしかない。しかし、テリーが皆の目の前でバスに轢かれて死ぬ。次は誰か?
そんな時、事故調査委員会の見解が発表される。爆発は機体下部の燃料パイプを経由して行ったというのだ。そして、そのパイプはトッドから始まり、テリー、ミズ・ロートン、カーター、ビリー…という順番に爆発していったことになる。トッド、テリーが死に、次はロートン?予兆にかられたアレックスがロートンの家に行くのだが、彼女はアレックスへの疑いをかけたままだった。彼女はFBIに連絡してアレックスを連行して貰う。しかし、死はロートンを見逃すことはなかった。
恐怖に駆られたカーターがビリー、クレア、アレックスを車に乗せて暴走する。皆が止めると、踏切に車を停めてしまう。全員が降り、カーターにも降りるように言うが、ベルトが外れない。そこに列車が迫る。ベルトが切れることを予見したアレックスがガラスを割ってカーターを助け出す。筋書きが狂った…と思ったのも束の間、列車が弾いた車の破片がビリーの首を切り落とす。順番が飛んだのだ。
いよいよ自分の番かと覚悟したアレックスは、クレアの勧めで彼女の別荘に隠れる。何一つ動かすにも慎重に行動するアレックス。しかし、その時彼は気づいたのだ。あの時自分はまだ席を替わっていなかったんだ…。では、次は自分ではなくクレア?
クレアの元に走るアレックス。落雷で切れた送電線がクレアを襲う。間一髪で飛び込んだアレックスはクレアを救うために自らが送電線を握り…
それから、1年。生き残ったアレックスとクレア、カーターが修学旅行の地、パリを訪ねる。そこのカフェで談笑する3人。カーターが「次はお前の番になるんだよな」と言われて、アレックスは恐怖に戦く。そして、ふらふらと立ち上がった彼に車が突っ込んでくる…。咄嗟に助けるカーター…これで順番が振り出しに…アレックスを避けた車が建物にぶつかり、倒れた看板がカーターに…
なんとも後味の悪い映画である。葬儀屋(なぜあの時間に彼が2人を待っていたのか、死に神のメッセンジャー的な存在)の言葉にミスリードされて追いつめられていく青年たち。超常的な現象として描かれているのだが、単なる偶然の産物であったり、むしろ精神的に追いつめられているだけに、ついそういう風に考えざるをえなくなっているようにも思われる。
死は必然であることは認めるにしても、死の筋書きが既に書かれているとしたら、それってあまりに寂しい話である。やはり、自分の生き方は自分で切り開くことが必要なのだから。
2001/2/3 高岡ピカデリー